ガザ内で避難暮らしが続くアラー・ヘルザラさん(22)
私はガザ地区最南部のラファで暮らしていました。6人きょうだいの長女で、グラフィックデザインを学んでいましたが、昨年10月7日、私の人生は一変しました。
隣家は空爆で住人全員が亡くなり、私の自宅もひどく損傷しました。通っていた大学も破壊され、インターネットの寸断で友人とも連絡がつかなくなりました。家族と、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)が運営する学校に数カ月間避難しました。
【連載】イスラエル・パレスチナ 市民の声 ガザ戦闘1年
イスラム組織ハマスの奇襲と、イスラエル軍のパレスチナ自治区ガザへの攻撃開始から1年。イスラエル、パレスチナの市民はどんな体験をし、いま何を思うのでしょうか。様々な立場の人びとに語ってもらいました。
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5月にイスラエル軍による軍事作戦が始まり、ラファを出ました。約5カ月間、家族とテントで暮らし、5回ほど移動を余儀なくされました。ガザ南部マワシに命からがら逃げてきましたが、ここでも苦しみが増すとは思ってもいませんでした。
想像してみてください。砂地…